見るも無残な姿になった1台のパトカー。警察官の勇気ある行動はパトカーと共に後世へ…


2011年3月11日に発生した東日本大震災

当時、津波で被害を受けて原型をとどめられないほどに姿が変わってしまった一台のパトカー。

平成26年の12月に開かれた富岡町の定例会議で宮本皓一町長によって仏浜地区に残されることが決定されました。

このパトカーは現在、福島県双葉郡にある双葉警察署内にて保管されています。

当時パトカーに乗車していたのは増子洋一警視(震災当時41歳)と、佐藤雄太警部補(震災当時24歳)の二人の警察官で、住民の避難誘導中にパトカーと共に津波に襲われたとみられています。

 

増子警視と佐藤警部補は地震発生後、避難誘導の為、このパトカーに乗車して行っており、富岡町仏浜地区をひたすら走っていたそうです。

必死の避難の呼びかけの最中に津波がパトカーを襲い、押し寄せてくる津波から逃れることが出来ないまま、激しい自然の力によって流されてしまいました。

震災後1か月ほど経て、陸地より30Kmも離れた沖合で、増子警視の遺体が発見されていますが、佐藤警部補は現在も行方不明のまま…

あの日、自然の猛威になすすべなく、多くの人々が人生を大きく変える事となってしまいました。

現在でもまだまだ復興の途中であり、中には手つかずの地区も多く残されています。

誰しもが自分の命を守るだけで精いっぱいだった…

さらに津波が押し迫って緊迫している中、警察官としての使命感と勇気ある行動によって多くの住民を守るために、自らの命をも顧みずに職務を全うした人たちがいたということ。

それと同時に、とても平穏で自然が豊かな町を一瞬にして別世界へと引き込んでしまった地震と津波の凄まじさを意味しています。

町民の有志によって被災したパトカーを町が保管するように陳情を提出し、これを町が受け入れた形となりましたが、保存にあたっては県警本部や、殉職した2人の警察官の遺族との話し合いを重ねた結果、町が県警本部より譲り受けたそうです。

富岡町では殉職した署員の勇気ある行動と町内の被災状況を後世に伝える貴重な資料としてパトカーを存続させていく方針で、今後は震災関連施設での展示も検討されているそうです。

これに対して町民有志の一人は

「町が保管してくれて良かった。パトカーを見る度に自分も頑張らなければと思う」

と語っています。

展示されているパトカーには自らの危険を顧みず、多くの町民の命を身を挺して守り抜いて殉職した警察官への感謝の気持ちを込め、多くの花束などが添えられています。

パトカーの側に建て替えられている看板には“震災遺産 津波被災パトロールカー”と書かれています。

地震大国と言われる私たち日本人ですら経験したことがない大地震。

その自然の力に為す術がなかったことはこのパトカーを一目見ただけでも十分に分かります。

一人でも多くの人を助けたいという思いを持った二人の勇気ある警察官の行動によって、多くの人々が救われたのではないでしょうか。

増子警視と佐藤警部補のその思いは、パトカーと共に後世まで多くの人へと語り継いでくれることでしょう。


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