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戦後のドイツで、自分の身の危険もかえりみず、人々を救い続けた日本人医師。長い間知られずにいた、その人物の生涯とは…


「肥沼先生は、まるで勇敢な兵士のように入っていき、身の危険も全く顧みず、もっとも酷い症状の患者に持ってきた貴重な薬をせっせと与え、また次々に患者を見て回るんです。こんな無私無欲の行いを目の当たりにして、気が遠くなるような感動に打たれました」

さらに肥沼医師は、たった一人の患者のために雪の中を一人で往診に出かけ、診察料のことを口にしませんでした。

「金銭のことを口にするのは下品である」
という日本人らしい倫理観を通していたのです。

そして、
「また一つの小さな命が救われた、よかった」

治療の効果が出て患者が回復するたびに、肥沼医師はこのようにつぶやいたそうです。

精力的に患者の間を歩き回っていた肥沼医師自身が発疹チフスに倒れたのは、死の二か月前のことでした。

彼は発疹チフスにかかると自室に閉じこもり、看護婦(看護師)たちに患者の治療を指示し、誰にも彼が発疹チフスに罹ったことを知らせませんでした。

また彼はチフスの治療薬や注射を自分自身で使うことを拒否しました。

「クスリは他の人に使ってくれ」
と看護婦たちを励まし、1946年3月8日に亡くなったのです。

冷戦の東ドイツ時代は秘密警察の問題もあり、肥沼医師のことを公に賞賛することは出来ませんでした。

そのため、日本国内においても、肥沼医師の偉業は長い間、人に知られずにいました。

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その間も、肥沼医師の墓は、病院関係者や市民によって、ずっと大切にひっそりと守られていたのです。

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