舛添氏「あの騒ぎは人民裁判」 退任から1年、語る

公私を混同した政治資金の使い方や豪勢な外遊、公用車を使った別荘通いなどが批判され、都知事の座を追われた舛添要一氏。

あれから1年。ぷっつりとマスコミの前から姿を消したが、このほど、顚末(てんまつ)を振り返った著作の出版をきっかけにインタビューに答えた。艱難(かんなん)は彼を玉に変えたか。

――連日テレビのワイドショーで大々的に取り上げられた騒動から1年たちました。一体何で、あんな事態に陥ったのか。当事者として、どう総括していますか。

「私の方が教えて欲しいぐらいです。まあ、想像はしますよ。騒ぎの発端は、東京の韓国人学校の増設問題だったんじゃないでしょうか。私は都知事として18年ぶりに訪韓して、当時の朴槿恵(パククネ)大統領との会談で協力を直接依頼されたんです。未来志向の日韓関係づくりに資すると思い、用地を探すと、新宿区の旧商業高校の跡地約6100平方メートルが最適だという結論になった。官邸から町内会まで根回しして、進めようとした矢先、一部の新聞がたたきだした」

「以来、右翼の街宣車がものすごかった。『売国奴外交をやめろ』と都庁や世田谷の自宅近くでやっていた。これに加えてカジノ問題。以前の知事はお台場で展開しようという構想を持っておられたが、私は『ちょっと立ち止まって考えましょう』と言ったら、すごい圧力を感じたわけです」

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